ジョーカー氏の悩める日々 の続きの続き

                               作:英明

入れ替えロープとおぼしきロープを握った雨宮静江が持ち方を確認する。
「こうですか」
おお!ついにこの瞬間が‥‥、おっと、喜んでいる場合ではない。
「そのまま、握っていてくれ」
《そう、そのままだあ》
そして、すばやく青い持ち手を握り締める。
『ぶ〜ん』
意識がブランコのように揺れ、
遠ざかり、近づき、そして、徐々に感覚が戻ってきた。
《本物だったんだ》
視覚も徐々に回復してきた。目の前には、俺が立っているはず‥‥‥‥‥‥




‥‥‥‥‥‥‥‥‥が、立っていたのは雨宮静江、彼女だった。

《なぜ彼女が立っているんだ?
 さっきの感覚はなんだったんだ?じゃあ、俺は?》
俺の身体を見回すと‥‥‥俺のままだった。
《しかし、確かに奇妙な感覚が‥‥‥》
その思考をさえぎって、彼女が口を開く。
「ん、どうして君がこの部屋にいるんだ、雨宮君」
そう言うと、俺のデスクに着く。
《「雨宮君」?何を言っているんだ?》
呆然とする俺に、
「仕事に戻らなくてもいいのかね、まだ勤務時間なんだろ」
そう言うと、彼女はパソコンのモニターに目を移し、
猛烈なスピードでキーを叩き始めた。
何をしているんだ俺のパソコンに?
しかも、彼女、こんなにパソコンが扱えたのか?

 と、その時、ドアが開いて
「雨宮さん、何しているの。仕事がたまっているわよ」
主任看護婦の松下久美子だ。
「ノックぐらいしろよ」
「なに悠長なこと言ってるんですか。
それになんです、その言葉使いは、雨宮さん」
「雨宮さん?」
主任は俺の手を取り、雨宮に向かって、
「失礼しました、事務長。さあ、呆けてないで、仕事よ」
と言葉を掛けると、俺を廊下に引っ張っていく。

背中越しに、
「ああ、気にするな」
彼女の雨宮の声がする。
《どうなっているんだ》
俺は俺のままなのに、雨宮も主任も、俺を雨宮として扱っている。
雨宮も俺のように振る舞い、主任も雨宮を俺と認知している‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥俺と雨宮の立場 が入れ替わっている!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥そうか!『初期バージョン』だ!


【解説】
 ドラえもんにおいて、
人格や能力や身体を入れ替える道具は何度も登場している。
その双璧を為すのが『とっかえバー』と『入れ替えロープ』だ。
 解説書などを読むと、「前者は身体を取り替える、後者は心を入れ替える、
と説明しており、結局は同じ用途・効力である」と解説してある。
 しかし、これには大きな誤りがある。
確かに『とっかえバー』は俗に言う入れ替わり状態になるのだが、
『入れ替えロープ』はその性格や能力や存在(名前や立場)を
入れ替えるのである。
 つまり、心(人格)だけが入れ替わるのなら、入れ替わり状態に
なるのだが、性格や能力や存在まで入れ替わってしまうので、
当人どころかまわりの者も、入れ替わりに気がつかないと言う状態になる。
で、読者(視聴者)の立場から見ると、姿はそのままで、
入れ替わった相手になりきってしまう状態になる。(性格や能力を含めて)

 解りにくいと思うので、英明の記憶に基づき、原作を振り返ってみよう。

 ジャイアンにコテンパンにやっつけられたのび太がドラえもんに
「僕もジャイアンぐらいケンカが強くて、ジャイアンが僕ぐらい弱ければ、
正々堂々ケンカをするのに」とドラえもんに泣きつく。
 そこで、ドラえもんは入れ替えロープを取り出し二人の能力・人格を入れ替える。
ふたりの姿はそのままだが、のび太は「ジャイアンになったような気がする」と言い、
ジャイアンは「のび太になったような気がする」と言う。
 そこで、試しにケンカをするのだが、もちろんのび太が勝つ。
勝ったのびたに対してジャイアンが「やっぱり、俺がのび太だったのか」と認める。

 このように最初に登場したときの、入れ替えロープは、入れ替わった直後は、
本来の記憶や人格をおぼろげに受け継ぐが、まわりも本人もすぐ順応し、
入れ替わった者に成りきったり、認知してしまうのである(姿や服装は元のままで)。
 しかし、主人公の特権か、のび太は本人のずるい性格や記憶をなぜか受け継ぎつつ、
次々に交代していくのである。だから、ジャイアンに成りきったドラえもんが、
のび太に成りきったジャイアンを追っかけ、それをドラえもんに成りきった静香ちゃんが
止めに入るというシーンが登場する。
 最後は、のび太が間違えて犬と交代してしまうといういつものオチで終わっている。

 先にも述べたが、入れ替えロープは何度も登場するが、2回目からは、その機能が
「身体を取り替える」になり、とっかえバーとの差がなくなってしまっていた。

 今回のジョーカー氏の場合は、まさに初期バージョンの「入れ替えロープ」で、し
かものび太と同じ状況にあり、記憶や性格をのび太同様、残しているらしい。
(持ち手の赤青の特性が原因という説もあり、現在調査中)
また、服装については身体同様、入れ替わった相手の服装に見えるらしい。
この場合、看護婦として勤務中という設定であるから、ジョーカー氏は、
雨宮静江の身体で白衣(ナース服)を着ていると他人からは見えることになる。
 作者としても、ジョーカー氏のナース服姿というのは見たくない。【解説終】



 「ふう〜、ひどい目にあった」
あれから、検温や点滴、下の世話など働きづくめだ。
静江の知識や技能を受け継いでいるから、何とかこなせたが、
看護婦が3Kの職業だというのは本当だな。今度、事務長に文句を言おう。
 それに、この静江、けっこうチクチクといじめられているな。
申し送り(引継ぎ会)が終わったあとも、あれこれ雑用を押し付けられる。
そのせいで、ようやく仕事が片付いたところだ。同僚は皆、帰宅してしまっている。
静江が男子職員に受けがいいから、嫉妬されるのだろう。
おかげで、唯一の楽しみであったお着替えタイムがなくなってしまった。

 さて、どうしたものか?すぐに戻るのも手だが、
せっかく、静江になっているのだ。何か楽しむ手段はないものか。
静江の容姿を持ってすれば、男を誘うのはわけないぞ。
しかし、俺にとっては、俺の身体のままだ。この状態で男に抱かれるのは、
考えるだけでもおぞましい。
 今は女性なのだから、偶然を装って痴漢行為を働くのは‥‥やはり静江に悪いか。
やはり、入れ替えロープを取り戻して、元に戻るしかないか。
まだ、事務長室にいるだろう。俺が定時に帰ることはまずないからな。
 コンコン
「はい、どうぞ」
「失礼します」(俺の部屋なのに)
「なにかな?雨宮君」(すっかり俺になりきってやがる)
「事務長、私、先ほどロープのようなもの、忘れていきませんでしたか」
「‥‥‥おっ、そうか、あれは君のだったのか、
ちょっと待っててくれな、確か引き出しの中に‥‥」
おいおい、俺の引き出しだぞ!
それにしても、静江が俺として振舞っているのは変な気分だ。
しかも白衣のままでだ。これもTSの一種かな。
ん、ちょっと待てよ、今の静江となら、セックスしても悪くないかも‥‥

「あった、これかな」
「ええ、そうです。ありがとうございます。
お礼といってはなんですが、お食事ご一緒しませんか?」
「おお、珍しいな、雨宮君が男性を誘うなんて。
気が変わるといけないから、これは預かっておこう」
「あっ」
まあ、いいか。
「じゃあ、裏口で待っています」
「あ、雨宮君、きがえないのか、白衣のままだぞ」
「あ、そうでしたね」(君も着替えろよ)


 おいおい、これに着替えるのかよ。
更衣室にあった静江の私服は、淡いクリーム色のブラウスに水色のタイトスカート。
これを着るのか?しかし、このままだと白衣に見えるらしい。
ええい、仕方がない。
袖を通すと、かなりきつい。そんなに体格差がないとはいえ、男と女ではやはり違う。
それにしても、こんな格好をしなければならんとは。
鏡で確かめる。
ぶ、不気味だ!これで、表を歩くのか。

《俺は雨宮静江だ、俺は雨宮静江だ。おかしくない、おかしくない‥‥‥》




 ジョーカーが女性と食事をすれば、次に行くところは決まっている。
しかし、女性として肩を抱かれてホテルに入る事になるとは‥‥‥。
俺が静江の服を、静江が俺の服を着て街を歩く‥‥
無茶苦茶、変なはずだが、誰も奇異な目で見なかった。
恐るべし、入れ替えロープ!

 お互いシャワーも終え、いよいよだ。
「なあ、静江」
静江が口を開く。そして続いて出た言葉は‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥「君は、誰なんだ?」‥‥‥‥!!



                                 つづく‥‥‥はずだ!

 

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